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11

4月

2010

歴史に埋もれた 長沼文化

二ノ宮神社(松崎) 二ノ宮神社(松崎)

【宝飾産業のムラ 玉作】
 古代の人たちは、現代人に劣らずオシャレだった。


 縄文時代に宝飾産業が長沼地方にあった話を以前に書いたが、古墳時代も、印波のクニは首飾りの一大産地だった。


 ヤマト王権が連れてきた技術者集団の三つ目は「玉作部」であった。彼らは今の松崎周辺に住み、首飾りの生産に携わった。


 玉作りというと「勾玉」を思い浮かべる人が多いが、この地域で今までに出土したのは「管玉」のみである。管玉は紐を隠すための宝石で、マカロニをまっすぐにしたような形と思えばよい。首飾りにいくつかの勾玉を配置して、それらの間を管玉で包んだ紐がつないでいる様子を想像してほしい。


 成田ニュータウンが造成されたとき「玉造」という町名を付けたのは、現在の玉造小学校前バス停の近くに玉作り遺跡があったからで、そこでは、管玉の原石、製造途中の半製品、完成品と、それらの加工に使用した道具類が発見された。これは関東で最初に発見された玉作り遺跡だった。


 律令時代に、玉作郷の鎮守として埴生郡二ノ宮神社が置かれたといわれている。それ以前からも玉作部たちが信仰した神社だったようだ。


 平安時代に書かれた「和名抄」の埴生郡に「玉作郷」の記載があるが、その時代には玉作りは行われていない。古墳時代にそこに多くの玉作部が住み、工房を営んでいたので、のちの時代もそのまま地名として残ったのだろう。


 ニュータウン以外では大竹地区でも管玉作りの工房跡が発見されており、このあたりの他の地区でも今後発見されるかも知れない。


 首飾りの主役の勾玉も、玉作郷内のどこかで造られていたはずである。
(成田市玉造 田村 桓夫)