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18

4月

2010

歴史に埋もれた 長沼文化 其の十五

三ノ宮神社(埴生神社) 三ノ宮神社(埴生神社)

【埴輪と焼き物の里】
 これまでに古墳時代の繊維産業と宝飾産業の話を書いたが、さらに、埴輪と土器の生産も盛んだった。


 縄文時代に宝飾産業、弥生時代に木工産業、そして古墳時代には三つの産業。古代の成田はまるで工業地帯のようだ。


 ヤマト王権が連れてきた技術者集団の四つ目は、「土師部」である。彼らの仕事は、埴輪と土器の製作であった。


 埴生郡三ノ宮神社は、のちの律令時代に山方郷の鎮守として置かれたものである。「図説成田の歴史」はさらに「祭神は埴山姫命。御魂代は土師器であり、古代土師氏の創建と考えられる」と書いている。土師氏の創建とは、祭神や御魂代からの判断であろうか。現在の社名「埴生神社」も、いかにも埴輪と関係がありそうな名称だ。


 竜角寺建造時の瓦に「神布」の地名が書かれており、それが、神社所在地の郷部のことだとされている。その地名は、そこが神聖な場所であることをにおわせている。


 古墳時代に埴輪を製造した窯跡が、成田ニュータウン造成中に見つかった。窯跡で出土した埴輪と付近の古墳から出土した埴輪には、明らかな共通点があった。あまりにも貴重な史跡なので、これが発表されると全国に保存運動が巻き起こって造成工事が中断するのではないかと工事関係者は懸念したそうだ。


 その場所は現在、「カスミ」というショッピングセンターの駐車場になっている。その地名「赤坂」は、そこにつながる坂道が赤い粘土の道だったから付いたそうだ。


 古語辞典で「埴生」を引くと、「焼き物の材料となる赤い粘土のある土地」とある。まさに、印波のクニは「埴生」のクニだった。
 (成田市玉造 田村 桓夫)