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25

4月

2010

歴史に埋もれた長沼文化

ピラミッドのような岩屋古墳 ピラミッドのような岩屋古墳

【印波のクニは先進国】
 古墳時代の終わりに、印波のクニは驚くほど時代の先端をゆく。


 仏教が中央で信仰され始める6世紀末、今の風土記の丘の北側に「浅間山古墳」が建造されたが、副葬品は古墳では異例の仏教様式だった。これは全国的にも珍しい。これが、印波の最後の前方後円墳となった。


 そのあと中央では626年に蘇我馬子が、628年に推古天皇が死去し、その墓としていずれも方墳(平面が正方形の古墳)が築かれた。すると印波のクニでも7世紀中ごろ、それに負けじと1辺が80メートルもある日本一大きなピラミッド型の方墳「岩屋古墳」が築かれた。歴史の本では日本で2番目に大きい方墳と書かれているが、これは外構部分も含めての話で、本体部分では正真正銘日本一の大きさだ。


 そして、ほぼ同時期に関東で最初の寺院といわれる竜角寺が建立された。岩屋古墳に埋葬された人物が竜角寺を建立したのではないか、ともいわれている。


 この寺の創建は、以前は8世紀初めといわれていた。しかし、研究が進むにつれて時代がどんどんさかのぼり、最新の研究では瓦の様式の考察から、640年から660年の間(山路直充説)とされている。


 この時代の印波の文化は、中央とほぼ同時進行し、そのレベルの高さは他の地方に比べて抜きん出ていた。これは経済力の裏付けがあってのことだろう。


 竜角寺古墳群では多くの「筑波石」が使用されている。それを、印波のクニの権力が筑波にまで及んでいた証拠だとする学者もいる。「長沼文化」が最も輝いた時代であった。

 

 成田地方の歴史はこんなにもすごかったのだと、市民として誇らしい気持ちになってくる。 
(成田市玉造 田村 桓夫)