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ムールガンダ・クティー寺院
車でバナーラスィー郊外のサールナートに向かった。市内のどの道も、交通法規など無視した様々な車両と人、動物でも~う大混雑。よく事故が起きないものだと車内で話しているうちに遠くにストゥパが見え始め、サールナートに着いた。
ストゥーパとは、もともとサンスクリット(梵語)で土を盛り上げたものの意味。その後漢訳され「卒塔婆(そとば)」と転化して伝わり仏塔に。三重塔や五重塔、供養追善のため墓に立てる板塔婆の起源にもなっている。
鹿公園の入口で3人は車を降り、運転手は駐車場で待ってるからと言って走り去った。どこかで昼食をと見回すと考古学博物館前の掘建て小屋食堂が目に入った。20坪程の店内は満席で、食べ終わった客が立ち上がった席に椅子取りゲームのように座り、ターリー(定食)とコーラを注文。足下を見ると、店内あちこちに客が食べ落とした物に蝿が集まっていた。看護師の友人は「もう不衛生などと言う次元でないね、ここは…」と言うが、蝿を気にしていてはインドは旅行できない。
食後、かつて僧院があった鹿公園に。僧院跡はレンガの基礎部分だけが残り、観光客やインド各地からの巡礼者が、あちらこちらで祈りを捧げる姿が見られた。ダメーク・ストゥーパの周辺でも巡礼者がグループごとにお祈りしていた。今回驚いたのは10年前には見られなかった、インド人仏教徒の多くなったことだ。これは45年前にインドに渡り、殆どゼロに等しかったインド仏教の復興運動に身を投じている佐々井秀嶺さんの功績ではないだろうか。カーストによる身分差別のヒンドゥー教徒を、差別の無い仏教に改宗する運動を長年行っている。そして現在、インドの仏教徒は約3億人に達し、インドの貧しい人たちの救済に多大な貢献をしている。インドの仏教徒から「スルヤ(太陽)ササイ」と親しく呼ばれている、インド仏教の最高指導者である。
公園を歩いているとムールガンダ・クティー寺院の方から太鼓や鐘の鳴る音が聞こえてきた。行ってみるとお釈迦様の座像を先頭に仏教旗を持ったボーイスカウト、ブラスバンド、続いて人が乗った象が数頭、最後尾に仏教徒が歩くパレードだった。 (つづく)(B)
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