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戦没者を弔う六地蔵
【激戦 竜台合戦⑤】
●戦没者の供養
竜台の合戦でたくさんの戦死者が出た。
土地の人々は七人の武将を砦のあった竜台の台地に葬り、七つの塚が出来た。のちにこの塚は「七将塚」と呼ばれた。
さらに人々はそこに地蔵堂を建て、霊をなぐさめた。初音庵の近くにその地蔵堂が建っており、境内に戦没者を供養する六地蔵もまつられている。縁日には今でも多くの人たちが戦没者の冥福を祈っているそうだ。
七将以外の犠牲者は内野に集め、大きな穴を掘って、一カ所に埋めた。そして、そこに大きな塚を築き、松の木を植えた。
遺族はもとより知らない人までこの悲惨な敗戦に同情して花や線香を手向けたので、線香はうずたかく積まれ、紫色の煙は松の木にまつわりつき、塚全体が線香の煙かと思われるほどだったと『わたしたちの豊住』(伊藤修一著)は書いている。このことから塚は「線香塚」、のちにはなまって「ぜんこうづか」と呼ばれた。
塚とそのあたりは長い間荒れ地となっていたが、明治になると開墾されて畑となった。深く掘ると、土の中から錆びて腐った武具のようなものがときどき出てきたそうだ。
最近、南羽鳥青年館建設に伴う発掘調査で多数の中世の住居跡が発見されたが、墓でもないのに家のそばに埋葬された白骨が多く出土した。しかも、多くは体の一部が欠けていた。竜台合戦に敗れた武士の遺骨かも知れない。
そんなに犠牲者を出した戦いも千葉氏と北条氏が和睦して婚姻によって縁者となったことで終結し、長沼地方にも束の間の平和が訪れた。やがてそのことが、千葉氏一族を滅亡へと導くことになる。 つづく (成田市玉造 田村 桓夫)
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