メニュー

01

8月

2010

インド旅行記23

ブッダが苦行したという洞窟 ブッダが苦行したという洞窟

 かつて、ボランティア活動でネパールに1年間住んだことがある。時間があるとあちこち散策し、職人の家を見付けては、手仕事の様子を窓から眺めるのが好きだった。カトマンズ盆地には仏像製造や曼荼羅(仏画)、木彫、手漉き、織物、染色など、様々な家内工業が集まっている。その中に数珠工房もあり、ブッダガヤーから買い付けに来ていたインド人と知り合い、色々話したことがある。仏教が途絶えていたインドには仏具職人がおらず、大部分をネパールから運んでいると、そのとき聞いた。前正覚山に向かう車中、その話を彼にすると「いや~良く知っていますね。今まで日本人は黙って買ってくれましたよ」と苦笑い。それから彼は気を許したのか、自分の生い立ちなどを話し始めた。名前はアソックと言い、今は覚えた日本語を生かしブッダガヤーで日本人専門のガイドをしているとの事だった。今回ガヤー駅に日本語を話す青年が出迎えに来たが、彼は日本語ガイドのライバルになるらしい。
 仏教経典にお釈迦様が沐浴した尼連禅河として出てくるナイランジャラー川はこの季節、水は無く砂ばかりでまるで砂漠の様だった。川を渡り前正覚山に約30分で着いた。彼の説明を聞きながら洞窟などを見て回った。仏教の説明に違いや不明点があるので「どこで勉強したの?」と聞くと、ブッダガヤーに来る日本人僧侶と子どもの頃から接し「日本語も仏教知識も覚えた」と話す。なるほど道理で、と納得できた。
 仏教はお釈迦様の入滅後、解釈の違いで上座部(小乗仏教)と大衆部(大乗仏教)に分裂、日本には大衆部仏教が伝わった。その後、いくつもの宗派に枝分かれし、同じ仏教でも宗派により、かなり教義が違う。ガイドは様々な宗派の僧侶から聞き覚えなので、とても説明がユニークで面白かった。
 苦行を終えたお釈迦様が悟る直前、スジャーターという娘から乳粥供養を受けたセーナー村に行くことになった。前正覚山とセーナー村は近く、村に入ると道は狭くなり、車を降りて畔道を歩いて行った。
      (つづく)(B)