メニュー

25

7月

2010

歴史に埋もれた 長沼文化

【長沼地方の中世の城】 【長沼地方の中世の城】

【長沼地方の中世の城】
●長沼地方の城
 中世の長沼地方にはたくさんの城があった。それは、当時の長沼が千葉氏の勢力の最前線であり、千葉氏の居城本佐倉城とは香取海を渡って船で行き来できたという軍事上のメリットがあったからだろう。
 成田市生涯大学院の手島先生が授業で配った資料(成田市史、下総町史、大栄町史で調査)には成田市の地図に中世の城跡が65か所もプロットされており、長沼湾の沿岸だけでも長沼城をはじめとして10の城跡が確認できる。さらに範囲をそこから4㎞広げると、約30の数となる。
 同時に全部の城があったわけではないが、なんとすごい密度ではないか。
 それでは長沼湾のあたりにはどんな城があったのか、その資料を参考にして代表的なものを列挙してみる。
 
 (城名・所在地・城主)
▼小倉屋敷(竜台の砦)
 竜台・小倉氏
▼広の台城(羽鳥城)
 北羽鳥・羽鳥新八
▼長沼城
 長沼・長沼五郎
▼下福田城
 下福田・長津氏
▼宝田城
 宝田・城主不明
▼白子城
 宝田・埴生氏
▼押畑城
 押畑・幡谷氏
▼一の陣屋
 新妻・城主不明
▼芦田館
 芦田・城主不明
▼荒海城
 荒海・荒海小四郎
 
 このうちいくつかは「東国闘戦見聞私記」に登場する。こんなにあった城も竜台合戦の敗戦で多くは落城し、更に、残った城も秀吉による小田原攻めのとき、長沼地方の武将はいずれも北条側に付いたため、北条とともに滅んでしまった。
(成田市玉造 田村 桓夫)