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初代市川団十郎墓碑の台座(幡谷)墓碑は最近金江津に移設された
【市川団十郎のルーツ】
「ヨーッ、なりたやー」
歌舞伎で市川団十郎に掛けられるおなじみの掛け声。成田市民なら誰もが知るように、団十郎は、成田市幡谷にゆかりがある。
小田原攻めの後日談のもう一つが、市川家の先祖、堀越十郎の話である。
十郎は、甲斐武田の家臣とも、小田原北条の家臣とも言われているが、両方とも正しいとすれば、最初は武田に仕え、その後に北条に仕えたのだろう。
1590年、秀吉に攻められて小田原城が落城したあと、十郎は幡谷村に逃れて住みついた。頼ったそこの領主が支給してくれたのはわずか一反歩に満たない田畑だったので、堀越一家は貧しい暮らしを余儀なくされた。
十郎の孫の重蔵は成人すると、そこでは家族を養えないので家督を弟に譲り、自分は江戸川で回船の仕事につき、その後江戸に出てやくざになった。そして1660年、江戸の和泉町で生まれたこどもが、のちの歌舞伎役者初代市川団十郎である。
団十郎は14歳のとき初舞台を踏み、それが当たった。年を重ねるごとに名声は高くなり、押しも押されぬ人気役者となったのに、彼には一つだけ悩みがあった。子宝に恵まれなかったのである。それを知って父重蔵が言った。
「わしの故郷の成田にある新勝寺は霊験あらたかなので、願をかければどんな願い事でも叶う」
団十郎は、藁にもすがる思いで成田山に行き、祈願をした。すると間もなく、長男が誕生した。
団十郎はそれに感謝して屋号を「成田屋」と称し、市川家は代々成田山の信仰を大事にしている。
先日の成田祇園祭では海老蔵の結婚奉告が盛大に行われた。
(成田市玉造 田村 桓夫)
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