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おはつ稲荷(竜台)
【おはつ稲荷】
「今年は嵐があるぞ」といえば台風が襲い、「水が出るぞ」といえば利根川が氾濫した。竜台村の6歳の娘、はつの予言は実によく当たった。
成田市史では「農民の妻おはつ」となっており、こちらが正しいようだが、ここでは、伊藤修一著『わたしたちの豊住』に収録された地元に伝わるもう一つの話を紹介する。
はつのお告げを受けに来る人は日増しに増え、遠くの方からも人が集まった。
代官所は「人心を惑わすので託宣を禁止する」と布告を出したが、こっそりお告げを聞きに来る者、別の場所に呼んでお告げを聞く者が後を絶たず、ついには関係者を逮捕した。しかし、はつは姿を消してしまった。
後日、利根川で漁をしていた者が娘の水死体を見つけた。まだ幼いはつが入水自殺をしたのである。
村人たちは「はつは狐つきで、狐が昇天した」といい、かつてお告げを受けた人たちが寄付を集め、「おはつ稲荷」の社殿を建立した。1847年のことである。
神社の石灯籠の台座に寄進者の名前が刻まれているが、蓮沼村(山武郡)の地名があり、遠方からの参拝者があったことが分かる。
麻賀多神社宮司の太田家に「おはつ稲荷はまやかし物なので取りつぶすように」と願い出た告訴状の写しが残っている。
江戸時代の有名な紀行文赤松宋旦著「利根川図誌」に「おはつ稲荷社、利根川の畔堤のほとりにあり」と記されているが、大正5年、利根川改修に伴い現在の国道408号線の「竜台車庫」バス停付近に移された。
このおはつ稲荷は、30年くらい前までは、初午の日になるとあぶらげや赤飯を携えた人々で賑わっていたそうだ。
(成田市玉造 田村 桓夫)
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