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10月

2010

歴史に埋もれた長沼文化

本多家代々の墓(左が元俊の墓) 本多家代々の墓(左が元俊の墓)

【健康保険発祥の地①】
○長沼の医師 本多元俊
 かなり前のことになるが、成田市の広報誌に郷土史のコーナーがあって、「成田市が健康保険発祥の地」と書かれたものがあった。
 江戸時代末期、下総の国一帯で大原幽学の教えを受けた「先祖株組合」が盛んに結成された。これは世界で最初の農業協同組合であった。長沼地方は幽学のいた長部村(現旭市)から遠く離れていたにもかかわらず、いくつもの村で組合が結成された。
 これには長沼村の医師本多元俊の存在があった。元俊については、伊藤修一著『わたしたちの豊住』に、その子孫にあたる方が昭和8年に記した「我が家の歴史」が掲載されており、それを引用する。
 本多家の初代は宮崎玄賀といい、上総国姉ヶ崎で医者をしていたが訳あって浪々の身となり、長沼村の名主宅に立ち寄った。
 そのとき、名主の雇女が急に気分が悪くなって卒倒したので、すぐに薬を飲ませ処置をした。その看病の様子が親切丁寧だったので、名主はたいそう気に入り、屋敷と野菜畑を与え、長沼に医院を開業させた。
 嫁の世話もしたが、子宝には恵まれなかった。
 あるとき、勉学修行の旅をしていた本多東川という若者が玄賀に教えを乞うことがあった。玄賀は東川を気に入り、自分の養子になって医院を継ぐようにと勧めた。
 東川は母を一人で下野に残してきたので、帰郷して相談すると、「養子になると本多の家系が途絶える。本多の姓を名乗るなら養子になってもよい」との返事だった。それで、2代目からは本多の姓を名乗った。
 そして、世界で最初の健康保険制度の礎を作った本多元俊は、6代目となる。
(成田市玉造 田村 桓夫)