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大原幽学肖像画(大原幽学記念館提供)
【健康保険発祥の地②】
○大原幽学と本多元俊
江戸時代末期の東総地域はまさに「天保水滸伝」の舞台で、人々はばくちなどの退廃的な享楽の生活をむさぼり、これにより村々は荒れ果てていた。
大原幽学は、村人に「先祖株組合」を組織させ、農地の区画整理、土質改良、生活用品の共同購入などで生活を改善させた。また、定期的な勉強会を持って老若男女を問わず知識の向上を図り、組合員は見違えるように幸せな生活を送るようになった。そして、幽学の指導を受けた村は次々に立ち直り、豊かな村に変わっていった。
幽学は、その活動の初期に長沼の本多家に宿泊して若い元俊の才能を見抜き、元俊も幽学に教えを乞うようになり、やがて、最も優秀な門人となった。
幽学の改革は、彼が指導を始めてから20年経っても衰えるどころか、ますます成功を収め、他の地域まで広がろうとしていた。すると、荒廃した村を立て直す力を持たない幕府の役人たちは自分の無力さを見せ付けられることになり、彼をねたんだ。そして、やくざと共謀してあらぬ罪を着せ、彼を陥れた。
取調べは門人たちにもおよび、6年間にわたる取調べで大勢の人が何度も江戸の奉行所に呼び出され、滞在費などの膨大な費用がかかった。そのために門人たちは貧困を極めた。
有罪となった幽学が刑期を終えて村に戻ると、組合は解散させられて、もはや彼の教えを守る村はなく、また事件の負担と指導者の不在で、村々では田畑も人心も昔のように荒廃してしまっていた。
幽学は幕府の仕打ちに憤り、現実に失望し、迷惑をかけた人たちへのけじめをつけるため、切腹してこの世を去った。
(成田市玉造 田村 桓夫)
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