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19

12月

2010

歴史に埋もれた長沼文化

医王寺 医王寺

【駆け込み寺 医王寺】
 「オーイ。そこには誰もいないから、何も見ることはできないよ」
 妻と私が宝田にある医王寺の坂を上がると、後ろの田んぼの方から大声で呼ばれた。
 「寺の縁起を知りたくて来たんです」
 こちらも大声で返すと、農作業を中断して男性が駆け足で階段を上ってきた。
 「旦那さん、祭礼の日以外はお寺に鍵が掛かって中を見ることはできないですよ。うちに帰れば詳しい資料があるので寄っていってください。今やりかけの仕事を片づけてきますから5分ほど待ってください」
と彼は駆け足で畑に戻っていった。
 この寺は火伏せのご利益で知られているが、江戸時代の駆け込み寺でもあった。
 1681(延宝9)年、磯辺村の小右衛門が罪を犯して医王寺に駆け込み、公儀へ詫びを入れると同時に寛大な処置を願い出ている(成田市史)。駆け込み寺としては鎌倉の東慶寺が有名であるが、寺院はもともと治外法権のようなものなので、権力が及びにくい有力寺院に駆け込んで争いごとの仲介を頼むことは珍しいことではなかった。
 「ちょうど栗おこわを作ったところだったので召し上がってください。漬物も味見をしてください」
 奥さまは、私たちに次から次へとごちそうを並べた。資料を見せていただこうと先ほどの男性に付いていくと、遠慮して座敷に上がらず玄関に座り込んでいる私たちに、資料より先にごちそうが運ばれてきたのだ。
 そのあと資料をいただき、詳しい説明も受けた。初対面の私たちに親切にしてくださったY様には大変感謝している。そこで聞いた面白い話に引かれて、祭礼の日に寺を再訪することにした。
(成田市玉造 田村 桓夫)