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光明寺跡で概要説明する滝口会長(右から2人目)
2月27日、「成田の歴史・地名研究会」(滝口昭二会長)主催の「寺台城址を訪ねる会」が行われ、地元成田や近隣の歴史ファンが参加しました。
市内宗吾在住の滝口会長は、ライフワークとして各地の地名歴史を研究していて、船橋市や佐倉市などでも活躍されています。
午後1時、京成成田駅前に集合。昭和29年廃業の成宗電気軌道の説明の後、軌道のあった道を歩き、寺台に向かいました。
寺台城は、室町時代の14世紀後半、千葉氏の族臣・馬場氏代々の居城でしたが、天正18年、馬場伊勢守勝政の代に亡び、のちに海保甲斐守三吉が、徳川家康から賜ったと伝えられる城です。
一行は光明寺跡の細い山道から登り始め、大鷲神社からジャングル状の竹林を歩き、后田神社へ。次に本丸があったとされるJA成田の隣、海保碑が建つ場所へ。一帯は木々や竹が生い茂り、石垣や建物の礎石等もなく、はたしてどんな城が建っていたか想像もできなくなっていますが、参加者の1人は「ここに来て見て、戦国時代に戦略的要所だったことがよく理解できる」と話していました。 一行は山道を永興寺脇まで歩き、中世の寺台城址探索を楽しみました。
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