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18

9月

2011

驚きの三里塚

一里塚児童公園の標識 一里塚児童公園の標識

[三里塚の由来②]
○佐倉城起点説
 三里塚の由来について「佐倉城を起点とする説もある」とよく紹介されていますが、その内容について書かれたものがないかと探しても見つけることはできませんでした。
 ところが偶然、私はその説の証拠のようなものに出っくわしたのです。
 私は成田ニュータウンに住んでいますが、ある日散歩をしていて「カスミ」というショッピングセンターの北隣に「一里塚児童公園」という公園があるのに気がつきました。
 ニュータウンの公園は造成前の地名から取った名前を付けていると聞いていたので、そこはかつて「一里塚」という地名であり、過去に塚が存在したので、その地名が付いたのではないかと思いました。
 そうだとすれば、ニュータウンの一里塚はどこから1里なのでしょうか。そこから1里南西の酒々井町に戦国時代の千葉氏の本拠城「本佐倉城」の址があります。今はその名前ですが、もとはこの城こそが「佐倉城」と呼ばれていました。
 その城下町は戦国時代の1469年から120年にわたり、下総の首府として経済と文化が花開いた時代があったのです。そこから多古までは千葉氏の勢力範囲だったので、1里ごとに塚を築いたというのが私の思いついた佐倉城起点説です。
 カスミから三里塚までは直線で2里になります。
 実際の道は曲がっているので距離が合わないと思う方もいると思いますが、一里塚の位置を距離の実測で決めたのは江戸時代からで、それまでは歩く時間を目安に決めたので、平たんな道は間隔が長くなり、36町(3.9キロメートル)から48町(5.2キロメートル)までの幅があったそうです。
  (成田市玉造 田村 桓夫)