メニュー
|
三里塚小学校の大エノキと盛り土
[古地図にあった一里塚]
「佐倉七牧絵図に一里塚が記録されています」
新島新吾さんからのお手紙に私は驚きました。
新島さんは大清水にお住まいで、三里塚あたりの歴史を調査研究され、最近『三里塚よもやまばなし第一集』を出版されました。
先日三里塚の由来の多古起点説と佐倉城起点説を紹介しましたが、それを読んで、今年3月に成田市が発行した『成田の地名と歴史』の表紙の絵図に一里塚の位置が書かれていると教えてくださったのです。
私もその本を購入していたのでさっそく本棚から出し確認しましたが、文字が小さくて読めません。虫眼鏡でみると、ありました!
その位置を丸印で示し「一里塚」と書いてあるものが3か所も見つかりました。一つは今の三里塚あたり。二つ目は富里市七栄あたり。三つ目は成田街道沿いで並木町か飯仲あたりです。それぞれ1里ほどの距離ですが、それらをつなぐ道は記されていません。
成田街道の塚の先1里は本佐倉城の城下町酒々井です。そう考えると、三里塚の塚は(本)佐倉城から数えて3番目の一里塚ともいえます。しかし、多古からも3里なので、どちらが起点かという論争の決着には至りません。
新島さんは、絵図で三里塚の塚に「榎アリ」と添え書きがあるのが気になるとおっしゃっています。三里塚の地名の由来といわれる塚に、現在生えている木は桜と杉ですが、すぐ近くの三里塚小学校の校庭にある塚のような盛り土の上には大きなエノキが生えていて、それが学校のシンボルになっているからです。
この絵図により、校庭の盛り土が「3番目の一里塚」である可能性を否定できなくなったというのです。
(成田市玉造 田村 桓夫)
|
|