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三里塚御料牧場記念館(旧事務所)
[御料牧場の誕生]
世界とつながる日本の玄関口といえば、成田空港だと誰しも認めます。
空港が位置する三里塚は、明治期にも西洋文化を取り入れる玄関口となりました。明治政府は、三里塚から富里にまたがる広大な牧場を開設し、そこで導入した西洋式の牧畜技術を日本中に広めていったのです。
各地を旅行すると「○○発祥の地」という看板をよく見かけます。そのように宣伝するのなら、三里塚と富里にはたくさんの看板が必要です。
「日本の競馬発祥の地」
「獣医医学発祥の地」
「セーター発祥の地」
「ジンギスカン料理発祥の地」
その他、細かくあげればきりがないほどで郷土自慢の話題には事欠きません。それなのに、これらは成田市民と富里市民にはあまり知られていないのです。
江戸時代、北総台地には徳川幕府の馬の放牧場がたくさんあり、それらは明治になると、廃藩置県で禄を失った武士や庶民に解放され開拓されました。
しかし、三里塚の取香牧と富里の高野牧の一部は解放されませんでした。西洋式牧畜導入の技術センターの候補地としてそこを視察した明治政府の要人大久保利通が、ここにそれを造ると決めたからです。
明治8年、政府はアメリカの牧羊家アップ・ジョーンズを雇い、三里塚と富里に、牛馬の改良を目的とした種畜場と羊毛の普及を目的とした牧羊場を開きました。
それらは内務省管轄でしたが、その後新設の農商務省に移管され、更に、明治14年と15年に明治天皇がそこを訪れ、すっかり気に入った陛下の希望で、18年に宮内省に移管されて、その後名称も「下総御料牧場」となりました。
(成田市玉造 田村 桓夫)
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