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1マイルコース名残の道路
[競馬発祥の地①]
地図を広げると、三里塚コミュニティセンターの前の道路がまるで大きな運動場のトラックのように卵型をしているのが目に付きます。それが日本で最初に競馬をした1マイルコースのなごりです。
第2次大戦後、食糧難に苦しむ人を助けようと御料牧場の大半をその人たちに払い下げましたが、そこに競馬場が含まれていました。競馬コースの一部はそのまま道路として利用されたので、今でも地図の上で形が確認できるのです。
三里塚コミュニティセンターの玄関前に立つと道路が緩いカーブになっていて、競馬コースのなごりを実感できます。道路を眺めながら当時の様子を想像すると今にも観客の歓声が聞こえてきそうです。
コミュニティセンターに隣接した三里塚第1公園はお花見の名所ですが、そこにピッチャーマウンドのような形をした高さ2~3メートルの小山があります。これは「観競台(かんけいだい)」といって、明治天皇のために作られた競馬の観客席の跡です。明治14年と翌年、明治天皇はこの地を訪れて競馬を観戦しましたが、そのときに造られたそうです。地元の人たちはその山を「馬見所(ばけんしょ)」と呼んでいます。
明治政府は西洋の畜産技術を日本に広めるためにたくさんの種類の家畜を輸入して御料牧場に持ち込みましたが、その中に優秀な馬を育てる目的のサラブレッドが含まれており、育成技術の一つとして競馬も導入されました。
のちに日本でも競馬が盛んになり日本ダービーが開催されるようになりましたが、最初の10年間で優勝した馬のうち、5頭は御料牧場の馬でした。(新島新吾著「三里塚よもやまばなし第一集」を参照しました)
(成田市玉造 田村 桓夫)
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