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軽便鉄道と三里塚駅の絵葉書(成田市立図書館所蔵)
[日本で最初の県営鉄道①]
日本で最初の県営鉄道は軽便鉄道多古線の成田から三里塚までの路線だといわれています。軽便鉄道とは今でいうトロッコ列車のようなもので、陸軍の鉄道部隊が敷設して運行しました。
当時の千葉県知事はアイデアマンで、習志野にある鉄道部隊にこんな話を持ちかけました。
「この部隊に絶好の演習場を提供します。成田から多古までの路線用地を県が購入して提供しますからそこで線路の敷設演習をしてください。それが完成したら列車運行の演習もしてください。その列車には三里塚の御料牧場を訪れる皇族方も乗られるので大変名誉なことですよ」
鉄道部隊は知事の申し入れを受け入れ多古までの線路を敷設しましたが、それが完成すると次は八日市場、さらに八街までと路線は伸ばされました。そのうえに、列車の運行まで自分たちの手で行わねばなりませんでした。
軽便鉄道はレール幅が60センチメートルしかないので安定が悪く、スピードが出せませんでした。三里塚駅から成田駅まで1時間ほどもかかりました。列車に乗り遅れた乗客は次の駅まで走って先回りし、列車がくるのを待って乗車したとか。今でも笑い話にされています。
また、「尿意をもよおした乗客がカーブのスピードが落ちたところで飛び降り、用を足してまた飛び乗った」と、平林たい子の自伝的小説『砂漠の花』に書かれています。
脱線が日常茶飯事だったそうですが、スピードが遅いからか人身事故になったという話は聞きません。それにしてもそのような危険な列車に乗る皇族方は誰もいなくて、成田駅から人力車か馬車で三里塚にきたそうです。
(成田市玉造 田村 桓夫)
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