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11

12月

2011

エリア再発見 驚きの三里塚⑮

現在の「三里塚駅」 現在の「三里塚駅」

[日本で最初の県営鉄道②]
 第2次大戦中、陸軍は成田近辺の軽便鉄道のレールや車両など施設の全部をインドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)に移設しました。
 実際に敷設されたかどうかについては諸説があり、運搬していた船が撃沈されて資材はすべて海中に没したともいわれていますが、軽便鉄道を引き継いだ京成電鉄の社史にはセレベス島に鉄道を敷設した苦労話が路線図とともに掲載され、実際に運行されたと明記されているそうです。
 私が会社勤めをしていた10年ほど前、工場設備の設置工事にインドネシアの技術者が10人ほど来日しました。その中の一人がスラウェシ島出身だというので「戦時中の鉄道について知っていますか」と聞くと、彼は「その島には今でも鉄道はなく、もし鉄道があったとすれば学校の歴史の授業で勉強するはずなのに、そんな話は聞いたこともない」とのことでした。
 成田山裏側の土屋地区をイオン方面に出る道の途中の右側に幅数メートルのコンクリートの壁があります。これが成田に残る、数少ない軽便鉄道の遺跡で、陸橋の橋脚の名残です。
 また、成田空港造成工事では線路跡地を舗装して「資材運搬道路」とし、その道路は今でも生活道路として重宝されています。
 鉄道がなくなって70年近くたっているというのに今も「三里塚駅」が生きているのを知っていますか?
 三里塚十字路の角の建物に消えかかった「三里塚駅」の看板が掛かっています。鉄道の駅だった場所から700メートルほど離れていますが、今はバスの停留所と運転士の仮眠所として使われています。30年ほど前に尋ねたときは事務員が常駐していて、新幹線の切符も購入できました。
(成田市玉造 田村 桓夫)