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12月

2011

仏師定朝から運慶登場へ!「秋の歴史講演会」南関東の仏像を考察

塩澤講師の解説に熱心に耳を傾ける聴講者 塩澤講師の解説に熱心に耳を傾ける聴講者

4日、成田市役所大会議室で成田市教育委員会と成田市文化財保護協会が主催する「秋の歴史講演会『南関東の仏像』―上総・下総を中心に―」が開催され、市内の歴史愛好家40数名が聴講しました。
 講師は「東国の平安彫刻」「鎌倉時代の仏教彫刻史と鎌倉幕府」を主な研究テーマとする日本橋学館大学教授の塩澤寛樹教授でした。
 仏像は、寺社の秘仏であり、一般人が見ることはなかなかできませんが、今講演会では、たくさんのスライドにより、仏像映像を拡大したり、特徴ある部分を前後左右、多視点から比較して見せるなどの工夫があり、聴講者は貴重な資料と分かりやすい解説に大きくうなずいていました。
 講演では、仏師定朝作「宇治平等院阿弥陀如来坐像」を典型とする定朝様(じょうちょうよう)の、バランスよく自然で柔らかな丸味のある仏像を「眠るが如き瞑想の仏」と評し、平安後期、仏の理想型として全国に広がったことを解説しました。その定朝様が成田山新勝寺の薬師如来坐像にも見られることが紹介されました。
 鎌倉時代を代表する仏師・運慶の登場については、幕府政権の下、鎌倉が新しい仏法の拠点となるに及び、定朝様に対して、力強く筋肉質、巧みな動感表現を特徴とする仏師運慶が時代の流れで歓迎されたことが考察、解説されました。成田市内鎌倉時代の代表的仏像として、駒井野高福寺の仏師覚尊作木造地蔵菩薩坐像や大竹円光寺銅造阿弥陀三尊像が紹介されました。
 さらに、中世、北総一帯に存在した「香取の海」を説明し、中世に台頭した千葉氏一族による上総・下総支配体制と、船・海に密接につながる妙見(菩薩)信仰との関係を推測しました。
 講演の後、成田市本城の小川和也さんの質問、「中世日本には仏師養成所があったのか?神社に仏像があるのはなぜか?仏像が示す印相の意味は?」に、即座に的確に答える塩澤教授には深い学識が感じられました。