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12月

2011

エリア再発見 驚きの三里塚

三里塚の傘桜『図説成田の歴史』より 三里塚の傘桜『図説成田の歴史』より

[桜の名所三里塚②]
 江戸時代から、取香牧では地元の人たちが桜の木を植え、大事に育て、守ってきました。安政7年(1860)に書かれた「三里塚付近道筋桜植付願」という願書が酒々井の島田家に残されています。
 桜の植樹は明治になってからも続き、明治15年ころにも三里塚に移住した人たちの有志が金を出しあって桜の苗木を植えたといわれています。
 御料牧場となってからも桜は大事に育てられ、三里塚は関東を代表する花見の名所となり、やがて東京の両国駅から花見のための臨時列車が運行されるまでになりました。
 また京成電鉄の社史に、「三里塚お花見きっぷ」といって京成線内各駅から三里塚までの電車・バスの往復をセットにして運賃を割り引いた切符がお花見シーズンに売り出されたと書かれています。
 以前、今の貴賓館の入り口に「傘桜」という見事な枝ぶりの大きな一本桜(写真)があったそうですが、空港造成時の無管理状態の中で枯れてしまったのは残念なことでした。
 根元に「竜のひげ」を植えて土の乾燥を防いでいたものが、管理が移管される過程の混乱で手入れをしないために雑草が生い茂り、竜のひげも枯れ、ある日雑草を全部抜き取ると土がむき出しになり乾燥して木が枯れてしまったということです。
 成田空港が建設されると桜の木はほとんど切られてしまいましたが、コミュニティセンターに隣接した三里塚第1公園と貴賓館がある第2公園は、御料牧場がお花見の名所だったころの面影をかろうじて残しています。
 このシリーズはこれで終了させて頂きます。ご愛読ありがとうございました。
(成田市玉造 田村 桓夫)