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観音像が包みこまれた古木
[木隠れ観音]
六角堂境内の入口に由緒書きがあり、要約すると「宝徳寺は室町時代の宝徳年間に創建。1684年に成田山の本堂を建てた大工の棟梁に依頼して観音堂を建立した。その堂は平面の形が六角なので、人々は六角堂と呼んだ」とあります。
当時の八代(やつしろ)村の境界に位置しますが、昔は、厄病が入って来ないように村の境界に堂や祠(ほこら)を建てて守り神としたそうです。
この寺に伝わる不思議な話が立て札に書かれているのでそれを紹介します。
私が最初にそれを読んだのは玉造に住むようになって間もないころでした。記憶は少しあやふやですがそのときの記述は今より少し詳しくて、「昔、人徳の高い上人が石の観音像を木の根元に置き『この木の幹が大きくなって石仏を包み込み、見えなくなったときにこの地は栄えるであろう』と予言した。人々は『こんな山奥に人が住むはずがない』と信用しなかったが、昭和になって成田ニュータウンができ、上人の予言どおりになった。その石仏は、木の幹に残った小さな穴から今でも確認できる」というような内容でした。
穴をのぞいてみましたが暗くてよく見えないので家から懐中電灯を持ってきてのぞくと、石仏らしいものが確認できました。木が更に大きくなると穴がふさがるかも知れないので見えているうちにと思い、嫌がる息子を無理やり連れてきてのぞかせたりしました。
今、その穴をのぞくと、前の記憶がある私には石仏がはっきりと確認できますが、初めての人にはわかりにくいかもしれません。
完全に見えなくなった後も、その言い伝えが受け継がれるのか、人びとはその話を信用してくれるのか、とても心配です。
(成田市玉造 田村 桓夫)
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